稲葉家下屋敷いなばけしもやしき旧平井家住宅きゅうひらいけじゅうたく

稲葉家下屋敷は明治の廃藩置県後に東京に住まいを移した稲葉家の里帰り用のお屋敷です。

書院造や玄関、門構えなど上級武家屋敷の風格漂う臼杵を代表する建築物です。特に庭園が広く稲葉氏5万石の偉大さを感じます。

稲葉家下屋敷

一方、隣接している旧平井家住宅は稲葉氏に仕えていた上級武士の住まい。こちらも江戸時代の建築様式を現在もとどめている、市内でも数少ない住宅です。

稲葉家下屋敷
最終更新日:2021年1月14日
アクセスと基本情報

日豊本線臼杵駅から県道33号線沿いに北西方向へ進みます。途中の港町商店街の入り口を西方向に進み、臼杵城跡の古橋口の前を通り、大分銀行臼杵支店を過ぎて石畳沿いを進むと右手に門が見えてきます。徒歩で13分ほど。

稲葉家下屋敷の表門。この重厚な門構えが臼杵藩主の風格を感じます。

稲葉家下屋敷門

基本情報は以下

住所 〒875-0041 臼杵市大字臼杵6-6
電話 0972-62-3399
入館料 大人(高校生以上):330円
小人(小中学生):160円
利用時間 9:00~17:00 年中無休
所用時間 60分
沿革
・稲葉家下屋敷

明治4(1871)年の廃藩置県によって、東京に住まいを移した旧臼杵藩15代藩主稲葉久通いなばひさみちとその長男で順通まさみちが臼杵へ里帰りするために建てられて屋敷です。

稲葉家下屋敷入り口から

敷地面積は約3500平方メートル(約1000坪)の土地に武家屋敷二軒分を移築したと言われています。明治35(1902)年の建築で、北側に大きな庭があり大書院、居間、台所が畳廊下で結ばれています。

稲葉家下屋敷入り口から

以前は料亭として使用されていましたが、貴重な建築物だったため臼杵市が買収。保存修復を施して、平成3(1991)年、一般に公開されるようになりました。

・旧平井家住宅

明治まではこの住宅の持ち主は、美濃(岐阜県)の高田城の城主で高田姓を名乗っていましたが、稲葉氏に仕えるようになって稲葉姓を名乗るようになります。この稲葉氏は臼杵藩に来てからも要職についており、名家の一つでした。明治に入ってからはこの住宅の所有者が平井姓の人と交代して「平井家住宅」と呼ばれるようになりました。稲葉家下屋敷と共に一般に公開されています。

稲葉家下屋敷
見どころ
・稲葉家下屋敷

室町時代より続く、武家屋敷は会所や対面所といった建築に象徴される書院造が一般的です。江戸時代になると武士や上級農民でも住宅に取り入れられており、明治以降は民家としても広く普及しました。

書院造の屋敷内

武家屋敷で特徴は、「表」「奥」と呼ばれる部屋があることです。仕事上の来客などをもてなす場合は表座敷へ案内し、生活をするプライベートな空間は奥座敷を用いられてきました。

書院造の屋敷内

時代劇でもよく目にする畳廊下も特徴の一つ。この廊下があるおかげで大きな屋敷内の各部屋を効率よく歩くことができます。昔の建築様式は芸術的でもあるが、利便性も優れていることがわかります。

畳廊下

台所は2階まで吹き抜けになっており、自然光が差し込むため明るく開放感を感じます。

畳廊下

下屋敷の大庭園は見てよし歩いてよし。市内中心地でも身近に自然を感じることができる空間です。

庭園

屋根瓦には稲葉家の家紋である「隅切折敷三文字すみきりおしきさんもじ」が見えます。

庭園
・旧平井家住宅

稲葉家下屋敷の大庭園の一角に旧平井家住宅への案内板が建っています。

旧平井家住宅案内

案内版が指し示す通りに進むと、もう一軒が武家屋敷が現れます。下の図面から離れ座敷の外見で明治以降に増築されたことがわかっています。

旧平井家住宅全体 旧平井家住宅平面図

玄関口から入ると、来客用の表玄関(右側)と居住用の内玄関(左側)が並べて設けられているのが特徴です。

旧平井家住宅平面図

生活空間である、お座敷の様子。すべての方向から光が差し込む気持ちの良い空間。そして何よりも静寂に包まれています。

旧平井家住宅お座敷

現代の建築では、ほぼ見ることができない土間。時代背景を感じます。

旧平井家住宅台所

稲葉家下屋敷から旧平井家住宅まで臼杵を代表する武家屋敷はとても広く、見ごたえがあります。当サイトで全ては説明しきれませんので、是非臼杵に来られた際に寄ってみてはいかがでしょうか。

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