東光寺とうこうじ

東光寺 山門

東光寺は大分県臼杵市海添に建つ高野山真言宗の寺院です。

戦国時代、大友宗麟がキリスト教に帰依し仏教廃絶を行った際に、本尊は不思議な出来事によって困難を乗り越え、庶民から尊い仏さまとして草庵を結んだ逸話が残されています。

最終更新日:2022年11月27日
アクセスと基本情報

JR日豊本線 臼杵駅の改札を抜けて、海添川(たたら川)に沿って南西へ。竹尾橋の手前左側にある細い小道へと続く小丘を10mほど上ったところ。

基本情報

住所 〒875-0042 大分県臼杵市 大字海添北海添1
創建 1629(寛永11)
開山 角和
宗派/山号・寺号 高野山真言宗、山号は瑠璃山
本尊 薬師如来
由緒と八熊大権現

本尊である金銅の「薬師如来像」は大友家初代、大友能直おおともよしなおの家臣、薬師寺源内の先祖が本州より請来したものと伝わります。

1562(永禄5)年に大友宗麟がキリスト教に帰依すると、仏教廃絶を行い全ての仏像を焼払おうとします。

東光寺 入母屋造本瓦葺きの本堂

本尊の「薬師如来像」を、鋳潰いつぶそうと試みますが尊体から水が溢れ断念、そのままたたら川(海添川)に投げ捨てられますが、沈まずまなかったため尊ぶべき仏さまとして村民が竹堂に安置します。

角和法和が本尊を1629(寛永11)に現在地に移して開山。同年11月に稲葉氏3代当主、稲葉一通公が二男通網公の病気平癒を祈願するために寺院を創建されます。

本堂に掲げてある扁額は、10代藩主稲葉弘通公の筆によるもの。かつて丹生島に存在していた丹生島城(臼杵城)天守閣に掛かっていたものと伝わります。

東光寺 扁額 八熊大権現(はちくまだいごんげん)

東光寺の境内には祠があり、2基の墓石が並んで立てられています。これは八熊権太郎芳親はちくまごんたろうよしちかとその妻花子の二霊が祀られ、俗に「八熊様」と呼ばれ、この夫妻にまつわる伝説が残されています。

今から900年以上前の白川天皇の治世、1085(応徳2)年に八熊芳親は阿波国(徳島県)の国守に仕えていましたが、仕えを辞して浪人となり妻の花子と共に諸国を流浪します。

食うに困った夫妻は、いつしか人通リがまばらな場所で追いはぎ強盗をするようになります。

とある日、摂州(大阪府)京都橋で安東左源太という武士に芳親夫妻は斬りかかりますが、無残にも逆に切り伏せられてしまいます。

東光寺 扁額

先に妻の花子が息絶え、芳親も息絶え絶えの中「私は前非を悔いている。武士の情け、とどめを刺してくれ」と懇願しますが、左源太は聞かずに立ち去ってしまいました。

それから600年以上たった1710(宝永6)年、左源太の子孫にあたる臼杵の内畑村の農民、平助が原因不明の奇病にかかってしまいます。

平助は突然「我は八熊夫妻の霊なり。」と芳親夫妻が殺された時の様子を語気を荒げて詳しく語ったそうです。

東光寺の法師が読経して霊を鎮めたところ、平助は平癒します。

その後、芳親夫妻のために2基の墓を建てて菩提を弔いました。弔いに感謝した夫妻の霊はその後、地域の人々を助ける「八熊大権現」となって、庶民から厚く信仰されるようになりました。

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