青原寺

青原寺(せいげんじ)は大分県臼杵市東海添に建つ禅寺です。1641(寛永15)年に江戸で逝去した稲葉一通の三男通綱公の住まいを移して創建されました。
寺院には古くから一通公に仕えていた重臣後藤利連に関する「青原寺の腹切松」の逸話が残され、往時を偲ぶことができます。
最終更新日:2022年11月27日
アクセスと基本情報
JR日豊本線 臼杵駅の改札を抜けて、海添川(たたら川)に沿って南下します。多々良橋を渡り左折し大岩登山口脇の小高い丘を10mほど上ったところに建てられています。
基本情報
住所 | 〒875-0042 大分県臼杵市東海添1504 |
創建 | 1639(寛永16)年 稲葉一通 |
開山 | 未堂 |
宗派/山号・寺号 | 臨済宗妙心寺派 山号は本光山 |
本尊 | 釈迦如来 |
こちらのページもよく読まれています
由緒
もとの寺院は「平原寺」と称して現在地よりも南の山上に位置し、1639(寛永16)年に臼杵3代藩主稲葉一通の三男である通綱公の屋敷を移して創建した禅寺でした。(三世南嶺和尚の代に「青原寺」と改称)
寺を開いた僧未堂の兄、後藤利連は稲葉一通に仕え「島原の乱」の働きにより家禄を250石から370石に加増されます。一通公に恩義を感じて忠義を尽くしていた利連でしたが、1641(寛永18)に参勤のため江戸にいた一通公が病気により逝去、その訃報を聞くと利連は平原寺の庭で切腹し殉死したといわれています。

未堂は生前の利連に一通公への心境を聞いた1人でした。境内に遺体を葬ってその墓印に松の木を植えます。この松が「青原寺の腹切松」や「殉死松」と後世語り継がれ多福寺の「雪窓松」、安養寺の「戸部松」と共に臼杵の三名松の1つといわれています。
残念ながら近年発生した暴風雨により、「青原寺の腹切松」は無くなってしまいましたが、その後に植えられた松によって今でも遺構がわずかに残されているようです。
合わせて寄りたい周辺スポット
写真をクリックしますと、詳細ページにうつります。
大分県臼杵市の神社、お寺、史跡めぐりを中心におすすめ散歩コース、サイクリングコースなど詳しく紹介