龍原寺
龍原寺は400年以上もの歴史のある大分県臼杵市大字福良にある浄土宗総本山知恩院末の寺院です。
九州地方に3基しかなく臼杵の景観に欠かせない木造の三重塔(県指定文化財)は訪れた多くの人々を魅了しています。

上臼杵駅から徒歩で約7分とアクセスも良く、臼杵八カ所霊場巡りでは第七番札所にもなっています。

龍原寺へのアクセスと基本情報
JR日豊本線の上臼杵駅の改札を抜けて県道506号線を北東へ、途中の33号線と合流さらに北へ数十メートルほど進んだ右手に壮麗な四脚門が建てられています。徒歩7分ほど。
基本情報は以下
住所 | 〒875-0053 大分県臼杵市大字福良134-1 |
電話 | 0972-62-2717 |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
創建 | 慶長5(1600)年 稲葉貞通 |
開山 | 円誉 |
宗派/山号・寺号 | 浄土宗総本山知恩院末、山号は紫雲山(しうんざん)、院号は花楽院 臼杵八ヶ所霊場第7番札所。 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
龍原寺の由緒
後陽成天皇の治世、江戸(駒込出身)の円誉上人により1600年(慶長5)に開山。
その後、円誉上人の高徳に深くうたれた稲葉家初代藩主の稲葉貞通公は、創建前の地域名だった”龍ヶ渕”にちなんで龍原寺を創建されます。

1877(明治10)年の西郷隆盛を首領に起きた西南の役(西南戦争)では、ここ臼杵の地も戦場となり、龍原寺では三重塔、山門、鐘楼以外は焼失してしまいます。
臼杵城下町の象徴とされる木造三重塔は1717(享保2)年に臼杵の工匠により聖徳太子像が寄進されお像を安置するためにお堂が建てられたのが始まりとされています。

その後1848(嘉永元)年に臼杵の名工、高橋団内らにより10年がかりで三重塔として新たに建てます。内部に聖徳太子像が安置されているため、別名「太子塔」とも呼ばれています。
龍原寺の見どころ
山門の四脚門は文政期に建てられ、西南の役では三重塔と共に焼失を逃れた貴重な遺構となっています。

最近行われた改修工事によって壮麗な姿によみがえり藩政時代に機能した、臼杵城西の入口としての風情を今に伝えています。
山門を入るとすぐ脇には地蔵尊が安置されています。江戸時代より安産祈願所として、庶民から親しまれています。

正面には西南の役で1度は焼失してしまい、その後再建された本堂です。急勾配の屋根と威風堂々としたたたずまいには、訪れた参詣者も自然と合掌されていました。

言い伝えによると、暴れる龍の夢を見た円誉上人が後陽成天皇直筆の六字名号の軸を頂いて現地に行き、念仏を唱えて龍を昇天させたことで寺院を開基されたとか。
本堂の梁には今にも昇天しそうなほど緻密に表現された龍の彫刻が施されています。

寺宝として「龍の珠・鱗・爪」(非公開)が現在も残されています。

木造の三重塔(県指定文化財)は、京都や奈良の木造多重塔を参考とし臼杵の名匠・高橋団内が設計し10年をかけて安政五年(1858)に完成させたものです。

三重塔のもう1つの見どころは初層の屋根です。東西南北の四隅に4鬼の邪鬼がそれぞれユニークな姿で塔を支えています。カメラの望遠や双眼鏡などを持って是非見てみてください。

現在、九州地方に木造三重塔は福岡県の2基とここ龍原寺三重塔を合わせて3基しか現存しないと言われており、大変貴重な遺構となっています。
龍原寺の御朱印
山門を入った東側に寺務所がありますのでこちらで頂くことができます。納経料300円。

朱で押された中央の三重塔の印が華やかさを引き立て、ユニークな御朱印となっています。

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