興山寺
興山寺は臼杵市福良にある高野山真言宗の寺院です。四季に合わせて境内を彩る花々は訪れた人々の目を楽しませてくれます。

平安時代になると仏教は次第に山という存在に深く結びつくようになり、山あいや山間部に寺院が建立され始めます。唐で密教を学んだ空海は、日本に帰国して高野山を修行の場として選びました。
臼杵にある興山寺も、山の頂に建てられた真言宗総本山高野山(和歌山県)から始まっています。庶民からも「臼杵の高野山」として古くから親しまれてきました。
興山寺へのアクセスと基本情報
興山寺は山上に位置していますが、本格的な”山登り”というような心構えはいりません。参道は地域の人々も利用する散歩コースとなっており、車道も境内まで通っています。

JR日豊本線 上臼杵駅から右折して線路をまたぎます。臼杵川の支流、小河内川沿いの道を進み、興山寺への案内板が立っているが見えたら、以降は案内板が指示してくれます。駅から徒歩で約25分。
基本情報
住所 | 〒875-0053 大分県臼杵市福良2366-1 |
電話 | 0972-63-0361 |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
開基 | 1590年(天正18)木食応其 |
宗派/山号・寺号 | 高野山真言宗 山号は高野山、本尊は無量壽如来 |
その他 | 九州西国特別札所 百八観音霊場第85番札所 九州八十八ヶ所霊場28番札所 臼杵八ヶ所霊場第8番札所。 |
興山寺の由緒
1585(天正13)年の豊臣秀吉は紀州攻めに際して、高野山に対しても降伏を求めました。その際秀吉と面会して、高野山存続の保証を確約した人物が、真言宗の僧だった木食応其(もくじきおうご)上人です。

興山寺は1590年(天正18)、応其上人が豊臣秀吉の帰依を受けて高野山に開基しました。その際、秀吉が後陽成天皇(ごようぜいてんのう)にお伺いを立て興山寺は国家安泰などを祈る勅願寺となります。
その後、1869年(明治2)に興山寺は青巌寺(せいがんじ)と合併し金剛峯寺となります。
興山寺の名前が消えることを惜しんだ僧の山縣玄浄は、旧臼杵藩の稲葉氏協力のもと臼杵に寺号を移し、根本道場として再興します。臼杵の地でも「高野山」と呼ばれ、庶民から親しまれています。
興山寺の見どころ
境内へと続く参道を歩いていると、視界は高い木々で覆われ、いかにも俗世を離れた厳かな雰囲気が漂います。

山を登り始めてまもなく、「高野山真言宗 興山寺」と刻まれた寺号表が見えてきます。標識を前にすると出家するわけでもないのに心がスッと軽くなったような気分になります。

20分も登ると、山の山頂付近に広がる境内へとたどり着きます。

境内の右には方形造の本堂が建てられており、無量寿如来の本尊が安置されています。

また本堂には後陽成天皇直々の寺号が刻まれた扁額(レプリカ)が掛けられており、その風化した様子からは悠久の時を偲ぶことができます。
客殿の玄関には唐破風とその上にのる緻密で凝った美しい彫物は見ごたえがあります。

境内には山縣玄浄を祀った開山堂や水子地蔵堂が建てられており、祈祷や供養が行われています。

訪れるなら春、さくらの季節がおススメです。この時期は参道までの道すがら淡いピンクの桜と菜の花畑の饗宴が楽しめます。

境内でも植えられた大きなソメイヨシノが毎年咲き誇り、訪れた多くの参詣者が春の訪れを楽しんでいました。

興山寺が建つ山の周辺をさらに散策すると、山の中腹あたりからは臼杵市街地と風光明媚な臼杵湾を一望できる事も参詣に訪れる楽しみの1つです。

JR日豊本線の上臼杵駅から歩き始めると、境内に近づくにつれ参道の傾斜がきつくなります。そのわずかな難所をのり超えれば、興山寺にたどり着きます。
乱れた呼吸を整えれば、何故でしょうか今まで騒がしかった心が鎮まります。
昔から山は信仰の対象として、仏教では「本山」、「山号」、「山門」といった名称にも付けられるほど聖なるものとして崇められてきました。興山寺もそんな山の頂きに開かれた名刹です。
臼杵城下町めぐりがひと段落したら、今度は趣向を変えて自然の中で静かに心を落ち着ける場所として、参詣に訪れてみてはいかがでしょうか。
興山寺の御朱印
客殿(寺務所)にて御朱印を頂くことができます。客殿正面には十一面観音像が安置されていますので 御朱印を頂く際は是非お参りを。

中央に「大悲殿」と書かれた御朱印。「大悲」とはさまざまな苦しみから人々を救うことを意味しており「殿」は一般的に観音さまを安置しているお堂を指しています。

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