月桂寺
臼杵城跡と相対して建つ月桂寺は、大分県臼杵市本丁にある禅寺です。市街地の中心、二王座の原山、神ノ木原(こうのきばる)の丘中腹に位置しています。

1600(慶長5)年に美濃(岐阜県)の郡上八幡から移封してきた、稲葉氏歴代の菩提寺でもあります。
豪壮な山門は貴人を迎えるために建つ藩公専用の御成門となっています。古刹ならではの品格を備える堂宇、一方で簡素ながら無駄のない侘びた禅寺の一面ものぞかせています。
臼杵城跡から月桂寺を望めば、寺勾配と呼ばれる高さ9mにもなる美しい石垣が60m近くに渡って延び、往時の景観が現在も残されています。

拝観はできませんが、寺院の外観からは稲葉家の風格とその権勢を感じ取ることができます。
月桂寺へのアクセスと基本情報
JR日豊本線 臼杵駅の改札を抜けて、海添川(たたら川)に沿って西へ。途中の石畳が敷き詰められた蛤小路(はまぐりこうじ)と呼ばれる風情ある小路が続く道の手前に建てられています。徒歩で約10分。
基本情報
住所 | 〒875-0041 大分県臼杵市本丁197 |
拝観 | 不可 |
創建 | 1608(慶長13)年 稲葉典通(稲葉家2代藩主) |
開山 | 湖南宗獄 |
開基 | 稲葉良通(一鉄) |
宗派/山号・寺号 | 臨済宗妙心寺派、山号は清光山 |
本尊 | 釈迦如来 |
月桂寺の由緒
月桂寺は美濃(岐阜県)の戦国武将、稲葉一鉄(良通)が亡妻月桂周芳のための菩提寺として揖斐清水に月桂院を建立したことにはじまります。
1600(慶長5)年に一鉄の子で初代臼杵藩主である稲葉貞通が美濃の郡上八幡から臼杵へ移封。さらに貞通の子で2代藩主典通が1608(慶長13)年に月桂院を臼杵に移し月桂寺を建立します。

開山の湖南宗獄禅師は、甲斐(山梨県)の恵林寺の住職快川国師(かいせんこくし)について出家します。
その後南北禅師に参じて、1582(天正10)年稲葉一鉄の菩提寺、月桂院に乞われて開山。そのまま稲葉氏が臼杵に入るとともに、典通に招かれ湖南も月桂寺に入ります。
山門には黄檗僧で書家の即非が書いた「月桂禅寺」の額が掛かっています。

快川国師の火定の袈裟
月桂寺が所蔵する寺宝の1つ「火定の袈裟」には、快川国師にまつわる逸話が残されています。
1582(天正10)年、織田信長は「天目山の戦い」で武田勝頼率いる武田軍を壊滅させ、武田氏の一掃をはかります。
武田信玄に招かれて甲斐(山梨県)「恵林寺」の住職になっていた快川国師もその対象となりました。
同年4月に信長によって恵林寺が焼き討ちに合うと、快川国師が着ていた半ば焼けた「柿染の袈裟」を、法嗣(跡継ぎ)である南化和尚に形見として与え、「滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすれば、ひもおのずからすずし)」という言葉を残して火の中に包まれていったといわれています。
形見の袈裟も南化和尚からその弟子である湖南和尚に引き継がれ、今に至っています。
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