臼杵八坂神社
臼杵の「祇園さま」こと臼杵八坂神社は、臼杵市街地の中心に鎮座し、1000年以上も歴史ある古社です。
大友時代より厚く崇敬された臼杵五社の1つでもあり、家内安全、安産祈願、商売繁盛を中心に様々なご利益に預かることができます。

毎年7月に県の三大祇園祭の1つ「臼杵祇園まつり(県指定無形民俗文化財)」が開催され、臼杵市内でもっとも熱い夏として盛り上がります。

臼杵八坂神社へのアクセスと基本情報
JR日豊本線臼杵駅の改札を抜けて県道33号を道なりに北へ進みます。途中県道217号との交差点を左折しそのまま、港町商店街を西に進んでいきます。

JR臼杵駅
臼杵城跡大手口公園の前を通ると石畳が続く道にでますのでそのまま直進、稲葉家下屋敷、臼杵図書館を経て正面に大鳥居が見えてきます。徒歩で約15分。

基本情報は以下
住所 | 〒875-0041 大分県臼杵市大字臼杵1 |
電話 | 0972-62-3673 |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 健速須佐之男命 櫛稲田姫命 大国主命 境内社 八幡神社(品陀和気命、宇迦之御魂神) 愛宕神社(火産霊神、大物主神、少名毘古那神) 稲荷社(宇迦之御魂神、建速須佐之男命、大市姫命) 粟島社(少名毘古那命) |
行事 | 臼杵祇園まつり(7月の第2日曜日から1週間) |
由緒と赤い狛犬の逸話
臼杵八坂神社の歴史は古く1000年以上も昔の975(天延3)年に陸奥国岩前鶴ヶ峰(現在の福島県いわき市)に祇園三所天王を勧請したことから始まります。
東北地方で起きた「後三年の役」(1083年~1087年)の戦渦を逃れるために、1087(完治元)に御神体を奉じて船で鶴ヶ峰を離れ、1097(承徳元)年に臼杵荘洲崎岩ヶ鼻に着岸したと伝わります。

その後、臼杵二王座原山にある神ノ木原(ごうのきばる)に神社を創建。仁王門を建てて洲崎への神幸をはじめます。(現在の地名「二王座」の由来ともいわれている。)
時は下って1586(天正14)年の島津軍の臼杵侵攻や大友宗麟のキリシタン改宗などにより社殿、宝物等が破却、その難を避け御神体は田町の見星寺裏の岩窟や日向(宮崎県)の飫肥への遷座を経て、大友氏改易後の1593(文禄2)年にふたたび臼杵に再建されます。

翌1594(文禄3)年に臼杵城主として太田一吉が入ると現在地に社殿を新築して遷座します。
1611(慶長16)年には稲葉2代当主、稲葉典通公が神殿、拝殿を再建、歴代稲葉氏からの崇敬も厚くその後も御旅所の造営、神輿ほか各種御道具の寄進などがおこなわれました。
神社は明治維新を経て1871(明治4)年、「祇園社」を「八坂神社」と改称、県社となっています。
臼杵八坂神社では赤い狛犬を目にすることがありますが、その狛犬にまつわる逸話が残されています。
江戸時代、臼杵の海添に150石を領した野村乗勝という弓の名手がいました。
1631(寛永8)年、当時臼杵3代目藩主だった稲葉一通公は参勤交代で大阪へ向かう途中佐賀関(大分市)の沖合で風待ち(船が出向の際に必要な風を待つこと)をしていました。
そこで偶然にも肥後(熊本県)の細川越中守と一緒になり、退屈しのぎに宴を楽しんでいたそうです。
話の流れでしょうか一通は家臣の弓の腕を見せたいと、その場で鴨射(海に浮かぶ鴨を一度で射抜く)をすると言い出します。
依頼を受けた乗勝は『もし失敗したら切腹は覚悟の上・・・』と思い、氏神の祇園宮(臼杵八坂神社)に祈願します。

乗勝の弓の実力はもちろん祈願のご利益もあり結果、見事一発で鴨を射止め、鴨射を成功させます。
後日、一通に面会した乗勝は「もし失敗したら、主君の体面を汚したことになり即座に切腹、自害するつもりでした。殿の戯(たわむれ)れで鴨と家臣の命を引き換えることにもなりかねなかった。今後、主君としての言動にはくれぐれも注意していただきたい」と陳言したそうです。
一通公は乗勝の言葉を素直に聞き入れて自戒したと言われています。この時に褒美として献上されたのが赤い狛犬です。

臼杵八坂神社の見どころ
「祇園さま」として市民から広く親しまれる臼杵八坂神社は、臼杵城址から見て西の臼杵川河口付近に鎮座しています。

稲葉藩政時代は三の丸として埋め立てられた「祇園洲」とも呼ばれた場所です。
二之鳥居をくぐり神域に入ると、静寂な空気に包まれる境内に身が引き締まります。

鳥居をはじめ、石灯籠、狛犬のほとんどが藩主の稲葉知通公をはじめ、古くから地域で営む商家などから善意で寄進されたものだそうです。

境内の東側に入母屋造本瓦葺きの拝殿が鎮座し、参拝者を迎えています。縁にいる赤い狛犬は由緒にて前述した逸話が残されています。

歴代稲葉氏からの崇敬厚く、拝殿の鬼瓦は家紋である「隅切折敷三文字」が刻まれています。

拝殿奥には市内最古とされる県指定有形文化財の本殿です。江戸期の1776(安永5)年に建てられた三間社流造となっています。

本殿は向かって右側に脇社を付ける珍しい様式で市内では唯一、県内では3社のみとなるようです。

本殿の彫刻は圧巻!木鼻から頭貫に至るまで彫られた彫刻の緻密さに目を奪われます。

境内奥にひっそりとたたずむ御神木のクスノキ。その存在感が人知れず参拝者を迎い入れています。

天満宮へ参拝に訪れると必ず目にする「撫牛」。神社境内に鎮座する様々な動物たちには厄除けの願いが込められています。

臼杵の夏を彩るのはやはり「祇園まつり」でしょうか。
7月の第2日曜日から1週間の日程で行われます。臼杵4代藩主、稲葉信通公が1626(寛永3)祇園宮(臼杵八坂神社)に戦利品を寄進、祇園様が初めて流れついた洲崎岩ヶ鼻(五味の浦)に1年に1度出かける行事を発端としています。
その後、この御神幸は大名行列並みに拡大し、今にいたるまで大分県の3大祇園祭りの1つに数えられるほど賑わい、臼杵市内でも古い伝統文化を守り続けています。
臼杵八坂神社の御朱印
御朱印を頂く際は社務所にて初穂料300円となっています。

御朱印に記されている「臼杵藩総鎮守」とは"地域を守護するために祀られた神"との意味あいが含まれ、古くから地域の人々にとって臼杵八坂神社の存在は町の守り神として、心の拠り所であることがあらわされています。
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