桑原神社(御霊神社)
大分県臼杵市佐志生にある桑原(かばる)神社は秋葉神社と八王子神社、御霊神社の3社の神さまが合祀されています。
中でも御霊社は奈良時代の貴族だった藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)の霊が祀られています。

藤原広嗣と言えば日本の歴史でも740(天平12)年に起きた「藤原広嗣の乱」で知った方も多いと思いますが、何故臼杵市の佐志生に祀られているのでしょうか。
神社は小高い丘の上に鎮座しているため、美しい佐志生海岸を望む景観も見どころの1つです。

参考までに臼杵市内には「御霊神社」と呼ばれる神社は合わせて5社(戸室・野村・大泊・風成・佐志生)あります。社号は同じですがそれぞれ御祭神がすべて異なっています。
桑原神社(御霊神社)へのアクセスと基本情報
JR日豊本線 佐志生駅から伸びる市道を東の方向へ。佐志生市街地に入り民家が立ち並ぶ中に20mほどの丘陵地の上に建てられています。徒歩で約20分。
基本情報は以下
住所 | 〒875-0001 大分県臼杵市佐志生桑原 |
電話 | なし |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 大国主大神(秋葉社)、天之忍穂耳命(八王子社)、藤原広嗣の霊(御霊社) |
関連リンク | 臼杵市HP-御霊社(その二) |
桑原神社(御霊神社)の由緒
桑原神社の創建は不詳ですが、臼杵市佐志生の桑原にある標高約20mの丘陵地に秋葉神社と八王子神社そして御霊神社が合祀されています。
秋葉神社は古の時代より現在の地域である佐志生四村の産土神(地域の守護神)として厚く信仰されてきました。

御霊神社に祀られるのは、藤原広嗣の霊です。広嗣は奈良時代、宮中に仕えていた貴族でその一族が政治の実権を握っていましたが、突如流行病で次々に亡くなります。
代わりに橘諸兄が政権を握りましたが、広嗣は740(天平12)年これに反旗して大宰府で乱をおこします(藤原広嗣の乱)。勝敗は朝廷が配した大将軍、大野東人によって鎮められます。肥前(長崎)の五島列島で広嗣は捕らえられて斬られてしまいます。
1724(享保9)年に他の地で祀られていた藤原広嗣の霊が現在地に移され合祀されています。何故ここ佐志生の桑原に祀られたかはわかっていませんが、広嗣の死を哀れんだ人々が祀ったものと思われます。

全国各地に点在する御霊神社(御霊信仰)ですが、藤原広嗣など非業の死を遂げた人の祟りが天災や疫病を発生させるとして恐れ、霊を鎮めるため当事者を神として祀った神社です。
「御霊」とし平穏を与えれば怨念も鎮まるとして、この考えは平安時代から起こるようになりました。

その後、八王子神社(御祭神:天之忍穂耳命)が祀られ稲穂の神、農業の神として1880(明治13)年に合祀されます。
桑原神社(御霊神社)の見どころ
入口は東側と西側から上る2つあります。次の写真は東側に建てられている鳥居です。

目を覆うほどの木々が生い茂り、神域であることを実感します。
境内につくと、目の前には入母屋造こけら葺きの拝殿が建てられています。周囲の自然と見事に同化し、神々の御座す場所として厳かな空気に満ちています。

一間社流造の本殿が2棟あります。1つは八王子神社でもう1つが秋葉神社です。1つの拝殿からそれぞれ廊下が伸びて本殿へと続く社殿配置はあまり見かけません。

狛犬は本殿脇に鎮座し、しっかり御神体を守護をしていました。

境内には、祠が1つあります。よく見てみると中には右手に剣、左手には数珠をもっている石像が彫られていました。不動明王とも見て取れます。

東側の石段を上って境内に入ると、佐志生の市街地と海岸の美しい眺望を見ることができます。

佐志生地域は江戸時代、瀬戸内海航路の要衝として港が置かれ、瀬戸内海の玄関口ともいわれました。
佐志生の周辺を歩くと特に神社が多くみられるのは、瀬戸内海における交流に力を入れていた地域の人々の信仰心の現れなのだともいわれています。
合わせて立ち寄りたい近場スポット
写真をクリックしますと、詳細ページにうつります。
大分県臼杵市の神社、お寺、史跡めぐりを中心におすすめ散歩コース、サイクリングコースなど詳しく紹介