御霊社(戸室)
大分県臼杵市戸室にある御霊社は豊後大友氏16代大友政親(おおとも まさちか)公の霊が祀られる神社です。

御霊社(御霊神社)とは亡くなった人の霊が災いをもたらさないよう神として祀った社ですが、そのまま地域に根付いて産土神(地域の守り神)として人々から崇められるようにもなりました。
参考までに臼杵市内には「御霊神社」と呼ばれる神社は合わせて5社(戸室・野村・大泊・風成・佐志生)あります。社号は同じですがそれぞれ御祭神がすべて異なっています。
今回は戸室に鎮座する御霊社のご紹介です。
アクセスと基本情報
JR日豊本線 上臼杵駅から県道506号線を北上、途中臼杵川にかかる万里橋を渡ってされに北東方向へ。途中から民家が立ち並び小道が入り組んでいるので、すこしわかりにくいですが小高い丘の上に立つ鳥居が目印になるでしょう。徒歩約20分。
基本情報は以下
住所 | 〒875-0051 大分県臼杵市戸室 |
電話 | 情報なし |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 大友氏16代当主 大友政親の霊 |
関連情報 | 臼杵市HP-御霊社(その一) |
由緒
戸室の御霊社は、大友家16代当主である大友政親(おおとも まさちか)の霊が祀られています。
建立の経緯は、永享年間(1429~1440)に起きた中国地方で一大勢力を誇っていた大内氏と大友氏との争い「姫岳の合戦」にはじまります。

大友政親は子の義右(よしすけ)との親子関係が悪化します。背景には、大聖院宗心(大友親実)の父子離間の企てや、義右が母方の従弟である大内義興の元へ出奔したことによるものとも言われています。
まもなくして義右が急逝すると対立していた政親が毒殺したのではないかとの疑いを掛けられてしまいます。
政親は筑前の立花氏を頼って落ち延びようと豊後を脱出しますが、下関の赤間関で大内義興の家臣に捕らえられ、1496(明応5)年、長門国(山口県)の舟木地蔵院にて切腹させられてしまいます。

家臣がその棺を臼杵に持ち帰り、遺命に従って大友15代当主大友親繁(おおとも ちがしげ)の墓の近くに葬ったといわれています。
1536(天文7)年に大友家の家臣だった小倉氏が政親の非業の死を悼んでこの地に御霊社を建立しました。
御霊社の見どころ
上臼杵駅から徒歩で約20分程度。御霊社の鎮座する高台を少しづつ上り進めていると、いつの間にか臼杵市街地を一望できる高さまで到達します。

神社の石段には高さのあるのぼり旗のポールが目を引きます。一説に神社の「のぼり旗」には神社の華やかさを演出するためや、神さまが降臨する際の目印なのだとも言われています。

上には一の鳥居が建てられいます。苔むした石段や鳥居にも風情があり、神聖な領域であることを実感します。

入母屋造本瓦葺きの拝殿。風化具合と周囲の自然が見事に一体化した悠久の時を刻んだ社殿です。

奥には威風堂々とした一間社流造りの本殿が建てられています。

本殿の上部に扁額・・・?ではなく2種類のお面。ユニークですが、何か歴史的背景が関係しているのでしょうか。

本殿の左脇には、境内社の祠が静かに佇んでいます。

地表に浮き出た根が複雑に絡み合う御神木。境内にある自然の1つ1つに神々が宿る不思議な世界を垣間見ることができます。

臼杵市にある戸室や江無田地域は台地となっていることから、市内でも臼杵湾を一望できる風光明媚な場所の1つとなっています。
室町期に活躍した大友氏15代当主大友繁親、16代当主大友政親、臼杵氏の墓所が建つなど残された多くの遺構から大友氏、臼杵氏両氏の栄華を偲ぶことができます。
また、近年この戸室台地から出土した遺物から、周辺一帯が大友氏の館跡だったのではないかともいわれており、今後の調査結果を期待したい場所の1つでもあります。

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