御霊神社(野村)
大分県臼杵市野田野村にある御霊神社は鎌倉時代に活躍した2人の武将が祀られる神社です。さらに摂社の貴船神社は大友時代の臼杵五社の1つでもあります。

参考までに臼杵市内には「御霊神社」と呼ばれる神社は合わせて5社(戸室・野村・大泊・風成・佐志生)あります。社号は同じですがそれぞれ御祭神がすべて異なっています。
今回は野村に鎮座する御霊神社のご紹介です。
アクセスと基本情報
JR日豊本線 臼杵駅からバス利用は白馬渓で下車、徒歩で約5分。上臼杵駅から徒歩で約22分。
基本情報は以下
住所 | 〒875-0011 大分県臼杵市野田野村 |
電話 | なし |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 鎌倉権五郎景正、大野九朗泰基、高龗神(摂社の貴船神) |
関連情報 | 臼杵市HP-御霊社(その一) |
由緒
御霊神社寺社考には「伝に、昔相模国から甲冑を身にまとい、剣を差した鎌倉権五郎景正の霊が豊後神崎に飛び来ると、この時野村の民が神崎に至り、尊像を負うて帰り野村に安置した」と記されています。
今一つの説では大野九朗泰基が祀られています。
1196(建久7)年、幕府から豊後の守護を任された豊後大友氏初代の大友能直の家臣である古荘重吉が先に臼杵に偵察に入ります。
緒方惟栄の家臣で大野九朗泰基は、これを阻むべく大分県豊後大野市にある神角寺に立てこもり最後まで反抗しますが敗退し、自害します。

しかしその霊がいつまでも、大友氏に祟りをなして止まなかったためその霊を5つの場所に祀りました。其の1つが野村の御霊神社です。
貴船神社大友氏が臼杵を治めていた時代、臼杵城の裏鬼門(南西方向)に京都鞍馬の貴船神社を勧請(分霊して祀る)して臼杵五社の1つに数えられるほど、立派な社殿が建てられていたそうです。
しかし江戸期の稲葉時代には神社は取り壊され、祠だけが残ります。その後に祠は野村の御霊神社の境内にて祀られことが伝わっています。
御霊神社の見どころ
臼杵川と並走する国道502号線を南下し20分、白馬渓へのバス停の20m手前の道を入ると野田公民館があり、その先に鳥居が見えてきます。

右手には手水舎があり、側面には分かり易く明記された御霊神社の由緒書きが張られていています。

入母屋造りで本瓦葺きの拝殿は、最近改修されたのか黒褐色の木目がひと際目を引く社殿になっています。

霊験あらたかな場所である拝殿の内部。様々な神事がここでとり行われています。

本殿脇に鎮座し、御神体を守護する狛犬。阿吽の口は毎度おなじみです。

境内の東側には幹が真っすぐ伸びて優雅な木姿の御神木(スギノキ)があります。

一間社流造の本殿。拝殿とは違い、風化した社殿の柱や組物からは長い歴史を感じます。

本殿の左には、かつて大友氏から厚く崇敬されていた臼杵五社の1つ貴船神社(摂社)が鎮座しています。

祀られる高龗神(たかおかみのかみ)は「水の神」、「雨ごいの神」とも言われ、農業、醸造、染織など水に関連する多くの業種からも信仰を集めています。
さらに右側には七面大善神を祀る小堂があります。寺社考によると1671(寛文11)年豊後野津原の法華宗の僧が七面大明神の尊像を携えて法音寺を訪ねてきたそうです。

御霊神社内に少しの間滞在し、その御礼にその七面大善神のお像を置いて行かれたとのことです。以来毎年行う祭礼には法音寺の僧が来ると記されています。
場所は野村台地と呼ばれる小丘になっており、自然豊かでのどかな地域です。御霊神社の北側には「御霊畑」と呼ばれる畑が広がり、臼杵市の発掘調査が行われていました。

日本では美しい田舎の原風景が広がる場所には必ずその土地に根付く神々が祀られています。
御霊神社も野村の地で地域の人々から厚く信仰され、その息吹を今に伝える貴重な場所となっています。
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