福良天満宮
学問の神様こと、菅原道真を主祭神に学業上達、厄除け、失物探出、心願成就のご神徳がある福良天満宮。

山田洋二監督作品の映画「男はつらいよ」の「花も嵐も寅次郎」での寅さんの旅先に臼杵が選ばれ、この福良天満宮もロケ地になりました。

福良天満宮へのアクセスと基本情報
基本情報は以下
住所 | 〒875-0053 大分県臼杵市福良211 |
電話 | 0972-63-2739 |
最寄りの駅 | 日豊本線 上臼杵駅から徒歩7分 |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 菅原道真公 |
行事 | 5月初旬頃に開催されるうすき赤猫まつり 毎年7月下旬に3日間にわたり開催される福良夏季例大祭(夏まつり) |
日豊本線 上臼杵駅の改札を出てそのまま県道506号線沿いを北東に進みちょうど県道33号線と合流した辺りに福良天満宮の鳥居が見えてきます。徒歩で7分程度。
福良天満宮の沿革
福良天満宮は菅原道真公が延喜3年(903)太宰府にて亡くなった後、亡骸を牛に運ばせ不動の地、太宰府天満宮に祀られたことからはじまります。
その後、菅原氏族が周防大畠(山口県南東部の町)を支配し姓を大畠姓に改め、代々天神像を守護していましたが、天正年間(1590年頃)豊臣秀吉による全国征伐の難を逃れ、豊後国海部郡福良荘(宮畠)に勧請されたと伝わります。

慶長初期(1600年頃)に、円誉(えんよ)上人が平清水に龍原寺を、また福良村小野路に称名寺を開山します。
慶長十三年(1608)臼杵稲葉藩主二代目、稲葉典通公が鷹狩に出かけた際、鷹が行方不明となり、鎮南山(臼杵市内の山)のふもとにおまつりされていた菅原神に願を掛けたところ鷹は近くの福良丘の松に戻ってきた。
そこで、稲葉典通公は宮地をまず宮畠に移し、「呼鷹殿」と称す神殿を称名寺(現:福良天満宮)内に建て、竣功後今の宮地に移し菅原姓善知が住職として天神に仕えました。つまり善知は天満寺の開基とされています。

後に称名寺は真言宗に改宗し仁和寺より院号を受けて菅生院と号し、さらに菅勝院天満寺、梅林山天満寺と名を改めた後、天台宗に改宗して瑞光院天満寺となりました。
そして稲葉典通の祖父である稲葉良通(一鉄)以来、菅原道真を尊崇していた歴代の臼杵藩主稲葉氏から崇敬を受けました。

明治元年(1868年)の神仏分離令により、天満神社と改称。明治28年(1895年)に現存する本殿に改築した
昭和に入って、福良天満宮と改称。平成14年(2002年)には、菅原道真公1100年大祭が行われました。
福良天満宮の見どころ
福良天満宮は小高い丘の上に鎮座しており、表参道から境内まで石段を登りつつ3つの鳥居をくぐっていきます。下の写真は桜が見ごろを迎えた季節の第2鳥居付近の写真です。

こちらが第3鳥居。一番大きな鳥居で額が取り付けられています。

鳥居をくぐってすぐ脇に手水舎がありますので、お清めをします。

中央にいるのは、赤猫の像。「赤猫」と呼ばれた臼杵の商人大塚幸兵衛の魂を籠もらせ、「幸せ(福)を運ぶ赤猫」として福良天満宮境内の一角で福を招き幸せを運ぶ社としてお祀りされています。

「臼杵の赤ねこ」「平清水の赤ねこ」は商業繁栄・家内安全・幸せを招く良い言葉とし伝えられています。境内の中に「赤猫社」が祀られています。

正面に拝殿が鎮座しています。

本殿の様子。

芸術的な本殿の和様建築の組物。

全国の天満宮、天神社に多く見られる牛神。天神さま(菅原道真公)のお使いとして神聖視されています。自分の悪い部分と牛の同じ部分を互いに撫でると病気がよくなり、牛の頭を撫でると知恵がつくとされています。

本殿左奥には境内社が鎮座しています。向かって左の愛宕神社。祭神は保食大神、火産霊大神。大塚幸兵衛(前述した)ら、明治初期の臼杵商人が信仰。平成28年(2016年)に、福良天満宮遷座四百年祭社殿が改築。
ご利益は、商売繁盛、五穀豊穣、火災防除など。

向かって右が瑜伽神社。祭神は天手力男神、白太夫神。岡山県倉敷市の由加山に鎮座する由加神社本宮の末社。平成28年(2016年)に、福良天満宮遷座四百年祭社殿が改築。
ご利益は、武芸上達、家内安全、子宝安産など。

福良天満宮の御朱印
福良天満宮で頂ける御朱印には、祭事や行事、四季ごとにそれぞれ特徴を生かした御朱印が用意されており、御朱印帳が賑やかになります。

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