押さえておきたい!人気ある神様と信仰
お伊勢さま(伊勢神宮)

実家や勤め先などで太陽の方角である南向きや東向きにある神棚は良く見る機会があるのではないでしょうか。
そこには「天照大御神」と筆で書かれたお札が飾られていてはいませんでしょうか。実は日本人の生活の中に一番多く溶け込んでいる神さまが天照大御神なのです。日本は古来太陽を日の神として崇め天照大御神も日の神から神格化したものと考えられています。
「天照」は「天に照り輝く太陽」と言う意味で、万物創生に欠かせない太陽の力を象徴する八百万の頂点に君臨する神さま(女神)なのです。合わせて日本の皇室の祖神としても祀られています。
総本営は三重県にある伊勢神宮で、かつては天皇以外の奉幣が禁じられたほどで貴族であっても勅許がなければ奉幣が許されないほどでした。
天照大御神は太陽が昇る方角、都が置かれた大和(奈良県)の東に位置した伊勢(三重県)がふさわしいとしてそこに太陽神である天照大御神が祀られました。
主祭神 | 天照大神(あまてらすおおみかみ) |
別名 | 天照大御神、天照皇大神 |
神格 | 太陽神、皇祖神、日本の総氏神 |
ご利益 | 国家安泰、神恩感謝、産業発展など |
総本社 | 伊勢神宮(三重県) |
天神さま

受験シーズンともなれば聞こえてくるのは、平安時代に様々な分野で活躍した菅原道真(845~903年)の名前です。日ごろ「天神さま」や「天神さん」などと呼ばれ、現在では学問の神様として親しまれています。
菅原道真の両親は元々学者であり、道真も幼少から文才に優れ文人、政治家として抜きんでた才能を発揮します。式部少輔・文章博士となり、宇多天皇の信任を得て右大臣の要職につきます。
ところが醍醐天皇が即位すると、時の権力者であった藤原氏の反発を買います。藤原時平がありもしない事柄を上の人に告げ口してしまい、道真は北九州の大宰府へ左遷されてしまいます。その2年後に無念の思いを持ちつつも他界。その後905(延喜5)年に門弟によって建てられたのが太宰府天満宮です。
道真の死後、京都では長雨や疫病などの異変が続きました。道真を陥れた張本人の藤原時平は39歳で急逝。また左遷を命じた醍醐天皇とその親族が相次いで死去したため、一連の原因は道真の祟りと恐れられます。
一連の異変を鎮めるために947(天暦元)年に京都の北野に神殿を建立し道真の御霊を祀り全国に勧請されます。これが現在の北野天満宮です。
当初は祟り神として恐れられた道真でしたが、平安時代から鎌倉時代には徐々にその生前の業績が評価されるようになり、江戸時代に入ると学問・文筆の神様として一般庶民にも広く天神信仰が広がるようになります。そのようなことから今日では受験合格祈願のもとになったといわれています。
祇園さま、天王さま

6世紀ごろ日本に仏教が伝来したのち徐々に国内に浸透していくと、日本の神祀信仰と仏教信仰が融合した神仏習合が起こります。そして仏や菩薩がこの世の人々を救うため神の姿になって現れるという「本地垂迹説」が広まりました。
祇園さまの総本社は祇園祭で有名な京都の八坂神社です。八坂神社は神仏習合の色合いが濃くのこされている神社で創設については諸説あります。有力とされるのが656(斉明天皇2)年に朝鮮半島の高麗の使節が新羅国の牛頭山に鎮座していた素戔嗚尊(すさのおのみこと)の霊を祀ったとされる説です。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)はもともと出雲(鳥取県)の須佐地方で信仰されていた神さまで、日本における神仏習合の中で、牛頭天王と同一神とされています。また「天王さま」とは牛頭天王のことで祇園精舎の守護神、疫病除けの守護神として信仰されている神さまです。
八坂神社も古くは祇園社と呼ばれていて、祭神として牛頭天王が祀られています。毎年7月に行われる京都の祇園祭は牛頭天王の力で疫病を払うために御霊会を行って無病息災を祈念したものでした。
主祭神 | 素戔嗚尊 (すさのをのみこと) |
別名 | 健速須佐之男命、牛頭天皇 |
神格 | 農業神、防災徐疫の神、歌人の神 |
ご利益 | 水難、火難、病難除去、五穀豊穣ほか |
総本社 | 八坂神社(京都府京都市) |
臼杵市内の神社 | 臼杵八坂神社 |
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