仏教は何故日本に広まったのか?

様々な宗派の寺院が集まる、臼杵の二王座歴史の道

臼杵観光の名所「二王座歴史の道」を歩くと、臨済宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗の各お寺からお経を読む声がときおり聴こえてきます。

二王座周辺に多く集まる寺院は宗派に関係なく、悠久の時を経て今でも地域の人々の心のよりどころとして厚く信仰されています。

宗教を信じていない人でも、実家に帰れば仏壇の上にある先祖の遺影に手を合わせ、法事ではお寺へ墓参りに行きます。「仏教」は自然と人々の生活の中に溶け込み、定着していることでしょう。

しかしながら世界的にみて数多くある宗教のうち、何故日本では「仏教」が広がっていったのでしょうか。

今回”うすきめぐり”ではそんな「仏教」について、日本に入ってきてから広がった背景について紹介してみたいと思います。

最終更新日:2022年7月4日
仏教の特徴
仏教とは?

世界には三大宗教と呼ばれるものがあります。1つは1世紀頃に成立した全世界の中でもっとも多くの信者がいる、イエスを神の子、救世主として信仰するキリスト教です。

そしてもう1つは、 7世紀の初頭アッラーの啓示を受けた預言者であるとしてムハンマドが創始したイスラム教です。

そして最後の1つが今回のテーマである仏教です。仏教は釈迦を開祖として紀元前6~5世紀にインドで成立しました。

仏教はキリスト教やイスラム教に比べて信者数は少ないですが、創始された年代は一番古い宗教です。

また、キリスト教やイスラム教は共に唯一絶対の神を信仰する「一神教」であるのに対し、仏教はさまざまな種類の仏を信仰の対象にしている「多信教」であるのが特徴です。

仏教の起源
仏教の特徴

仏教は紀元前6~5世紀にインドで生まれた釈迦(ガウタマ・シッダールタ)によって創始されました。

釈迦は35歳で悟りを開いて、仏陀ブッタ(悟りの境地に達したもの)と呼ばれていました。80歳で生涯を終えるまでインドのガンジス川を説法をして歩いたとされています。

釈迦が説いた教えとは「修行を行って苦悩を捨て、最終的にはブッダになること」です。

釈迦自身は教義自体を進んで行うことはなく、むしろ入滅後に弟子たちが教えを受け継ぎ経典である阿含経(あごんきょう)としてまとめられました。

仏教が日本に伝わる

釈迦の入滅後、仏教はインドから中国へ伝わり、その後朝鮮半島を経由して日本に伝わったと一般的にはいわれています

宗教が外国から伝わる方法は2つあり、1つは国の代表者が話をして伝える方法(公伝)。そしてもう1つは他国の僧が日本に来て教えを広める方法です。

日本に仏教が入ってきた年は「日本書記」が元になった552年の説と、聖徳太子の伝記として記された「上宮聖徳法王帝説じょうぐうしょうとくほうおうていせつ」などによる538年の説と2つあるとされているのは有名です(538年説のほうが有力とされている)。

どちらの説であったとしても、当時朝鮮半島の百済くだらの聖明王(せいめいおう)から釈迦如来像と経典が日本の欽明天皇に贈られたことにより由来(公伝)とされています。

しかし、それより以前に渡来人(大陸から日本に入ってきた人)によって仏教を既に信仰していた人もいたと言われているので、実際はどうだったのでしょうか。

仏教導入による対立と聖徳太子
仏教導入による対立と聖徳太子

当時の日本の代表は欽明天皇(きんめいてんのう)でした。天皇は大陸から伝わった仏教を日本国内に広めて良いものか臣下に問うたと言われています。

何故ならば、それまで国内には「日本の神」を信仰する日本発祥の宗教「神道」が既に根付いていたからです。

当時日本で大きな勢力を誇っていたのは大豪族の蘇我そがです。蘇我氏は渡来人との関係が深く西側では仏教をみな信仰しているので我ら日本も仏教を礼拝すべきと主張します。

一方で外国から来た神(仏教)ではなく日本古来の神を崇めるべきと主張したのは氏族の物部もののべです。両者はその後激しく対立することになります。

結果的に蘇我氏が勝利を治め、仏教は国の中枢を担う政治や文化の中心として重要な役割を果たしていくことになります。

同じころ飛鳥寺の前身である法興寺に、高句麗から恵慈(えじ)と百済から慧聡(えそう)2人の渡来僧が来日していますが、2人は聖徳太子の師とも言われています。

仏教導入による対立

聖徳太子は仏教を奨励し「法華経ほけきょう」、「勝鬘経しょうまんぎょう」、「維摩経ゆいまきょう」について解説した「三経義疏さんぎょうぎしょ」の経典を著わします。恵慈は三経義疏を高句麗に持ち帰り、広めたといわれています。

その後594(推古2)年に推古天皇が「三宝興隆の詔」を発布して、仏教が公に認められます。続いて607(推古15)年には法隆寺が完成するなど各地に寺院が建立され、6世紀から8世紀にかけて仏教信仰が広がり、日本の主たる宗教になっていきました。

日本の仏教、その後は・・・

奈良時代には中国から入ってきた6つの宗派が確立されます(南都六宗なんとろくしゅう)。この時代の仏教は徐々に増える経典の解釈に終始して、学問的研究色が強かったようです。また「東大寺大仏」など一部の権力者によって仏像や寺院が建立され、祈祷を中心に盛んに行われるという特徴を持っていました。

平安時代になると、その状況に異を唱えたのが最澄さいちょう空海くうかいでした。2人は遣唐使の一員として唐の仏教を現地へ留学して学び日本に持ち帰り、日本独自の仏教(平安二宗へいあんにしゅう)である天台宗てんだいしゅう真言宗しんごんしゅうを確立していきます。

平安時代から鎌倉時代にかけて日本の仏教は大きく加速していきます。特に天台宗の総本山である比叡山で学んだ法然ほうねん親鸞しんらん栄西えいさい道元どうげん日蓮にちれん一遍いっぺんはそれぞれ独自の宗派を次々に興していきます。

最終的に仏教伝来から戦前までに13宗56派で落ち着いていきます。

仏教はインドから中国、朝鮮半島と伝わる過程で各国の文化や風土などの様々な要素が取り込まれて日本に入ってきています。日本でも初期の仏教宗派を見てみると、中国の仏教色が強いことがわかります。

日本国内でも釈迦の教えの本質はそのままに、時間をかけて日本独自の要素が加わり仏教は発展しました。また思想以外にも食や建築、美術など文化的な側面にも影響を与えていることはご存知の通りです。

日本人の日常生活の中でも1年を通して仏教にまつわる風習(お彼岸、お盆、お正月)は守られ、先祖代々変わらぬやり方で毎年行事をこなしていることは少なくないと思います。

これまで述べてきたように仏教のルーツや日本で広がった背景を知ることで、仏教やお寺についての世界が広がります。さらに仏教を身近に感じ、次に参拝に訪れた際はいつもとは少し違った風景が見えてくることでしょう。

まとめ

今回”うすきめぐり”では「仏教は何故日本に広まったのか?」についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

要点をまとめてみました。

  • 仏教の特徴は、さまざまな種類の仏を信仰の対象にしている「多信教」である
  • 仏教は紀元前6~5世紀頃にインドの釈迦(ガウタマ・シッダールタ)によって創始された
  • 仏教はインドから中国へ伝わり、朝鮮半島を経由して日本に伝わった
  • 日本に仏教が伝わったのは552年と538年の2つの説がある。(538年説のほうが有力とされている)
  • 日本では崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との対立の末、蘇我氏の勝利で仏教寺院が多く建てられるようになった
  • 聖徳太子は仏教を重んじて「法華経」、「勝鬘経」、「維摩経」を編纂した「三経義疏」を著わした
  • 594(推古2)年に推古天皇が「三宝興隆の詔」を発布して、仏教が公に認めれる
  • 607(推古15)年には法隆寺が完成し、6世紀から8世紀にかけて日本に仏教が主流になっていく。
  • 奈良時代には中国から入ってきた6つの宗派、南都六宗が確立される
  • 平安時代になると遣唐使として仏教を中国で学び教えを日本に持ち帰った最澄が天台宗を空海が真言宗を開く
  • 鎌倉時代には天台宗の総本山である比叡山で学んだ法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍はそれぞれ独自の宗派を興していき、仏教が教団化して隆盛を誇っていく
  • 一般的に仏教伝来から戦前までに確立された13宗56派を伝統仏教と呼んでいる
  • 仏教は思想以外にも食や建築、美術など文化的な側面にも影響を与えている
  • 日本人の日常生活の中でも1年を通して仏教にまつわる風習(お彼岸、お盆、お正月)がある